「インターネット」+「リテラシー」が組み合わされた造語であるが、みなさんご存じだろうか?
「リテラシー」とは、
元々は「正しく読んだり書いたりできる能力」「読解記述力」という意味ですが、
現代的には「適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」という意味で使われるようになっています。
つまり、
「インターネットリテラシー」とは、
「インターネットの素晴らしさも恐さもわかったうえで、
主体的にインターネットを使いこなす能力」と私は定義しています。
1.インターネットの素晴らしさ
これは人類の英知の全てが結集していることです。
もはやインターネットを検索して出てこない答えはないですね。
スマートフォンの普及により、
私たちは人類の英知の全てを常に手元に持ち歩けるようになりました。
2.インターネットの恐さ
SNS投稿やブログ投稿などで簡単に自己表現ができる時代。
手軽さの反面に危うさを持っています。
インターネットに一度投稿もしくは流出させた情報は、投稿者では管理できません。
簡単に言うと消すことができません。
また、顔の見えるコミュニケーションではないので、
文字や画像、一方的な動画での情報発信は、
様々な誤解を簡単に生みやすく、炎上します。
千差万別の価値観の海に、自分の価値観を押し付けがちだからです。
3.インターネットを主体的に使いこなす
これがほとんどの人ができません。
かく言う私もまだ10%程度しか「主体的に使いこなせていない」と感じています。
「テレビ」を例に出すとわかりやすいです。
幼いころからあるのが当たり前の「テレビ」ですが、
使い慣れているからといって、使いこなせているとは異なります。
特に「テレビ」は特性上、視聴者という立場で受動的に見ているだけで、
「主体的にかかわって使いこなしている」人はほとんどいません。
この例でいう
「主体的にかかわって使いこなしている」人とは、
(どんなローカルでもかまわないですが)テレビ局などの制作側の人たち、
もしくはそれと同等の知識と技術、環境がある人をさします。
話を「インターネット」に戻します。
あなたも1日のうちのかなりの時間をインターネットと過ごしていると思います。
ですが、「受動的」です。
「いやいや!インターネット検索をバリバリ使いこなしているよ!!」
とお怒りのあなた、それで人生が180度変わりましたか?
そうでなければ、あなたは「テレビのチャンネルを変えている」程度のことしかしていないのと同じです。
この話は「テレビ視聴者」と「テレビ番組製作者」との話がかみ合わないのと同じことが起こります。
この両者においては、人生が正反対といっていいほど違うはずです。
ですので、
これを理解しようという心意気の方のみ、
この先を読み進めてください。
ある人が
「インターネットリテラシー」をこのように定義していました。
「自分で答えを見つける力を身につけていること」です。
その通りです。
インターネット検索で
<第一段階>
あらゆる問題の状況、背景そして解決策を見つけ出し、
<第二段階>
自分の人生に取り入れ、実践し、
<第三段階>
人生を劇的に変化させていく。
なぜ、今回このような「おもしろくない」話を書いたのか?
それは先日の「お仕事の依頼です」の記事を投稿し、
その反響からインターネットを見ている人たちのリテラシーのなさを痛感したからです。
「こういう登録したことがないからわかりません」
「不慣れなので手取り足取りでお願いします」
このような会話がいたるところで出てきました。
「お仕事」として募集してるのに、
「学校」か「職業訓練校」と間違えておられますか?
「報酬を得る立場」なのに「お客様感覚」ですか?
新しい一歩を踏み出そうというお気持ちは素晴らしいです。
ですが、いい大人が自分を律することなく、
「甘え」全開で「お仕事」を始めようとする…
完全に
「インターネットリテラシー」が欠如しておられます。
だから、
詐欺商材を次々購入しつづけて借金まで作ってしまうのです。
何かを「自ら得よう」ではなく「相手からもらおう」だから、
いつまでもインターネットの下僕のままなのです。
今回の記事は炎上するかなぁ…
当サイトの購読者さんが激減するだろな…
けど、大事なことだし…
これを理解できる人は少ないだろうけど…